時をめぐる争い

 昔ある村のお金持ちが町で時計を買って村人に時刻の見方を教えた。それをうらやんだ村のもう一人の金持ちも時計を手に入れる。二つの時計は30分ほどずれていたから大変だ。村人は正しい時間をめぐり真っ二つに分かれて争った。
 小川末明の童話「時計のない村」である。ある時計を役立たなくさせるには、違う時刻を示す時計を持ち込めばいい。別の時を示す時計が二つあるほど始末に悪いものはない。この話のように人々の間に争いを生み出してしまうことある。
 童話では、二つの時計は次々に壊れ、村人は以前のように太陽の動きで時間を知るようにようになる。村には平和が戻り「時計なんかいらない」ことがわかった次第である。米国の作家フォークナーの「時計が止まるとき、時間は生き返る」という名言は、童話の村人にもいえたわけだ。
 とはいえ電子文書の信頼性を作成時間などで確認する時刻認証といった仕組みもある時代だ。いくつもの時計がいいかげんに使われては争いは果てしなく広がる。先日、全国の時の基準となる日本標準時の新システムの運用が始まったのも、正確な計時がネット社会の基盤だからのようだ。
 セシウム原子時計に加え水素メーザー時計を併用した新システムは今までより精度が5倍高まり、誤差は1億分の1秒以内になったという。1億分の数秒の違いで争いが起こるかどうかは知らないが、「ただ一つの正しい時計」を求める人のさがは童話の村人もネット社会の住人も同じだ。
 すでに日本標準時に電波を通して同調する電波時計の普及で、日常の暮らしもどんどん精密な時によって刻まれていく。もうどんな山奥でも時をめぐるいざこざは起こりそうもないが、時間を生き返らせるのも容易ではなくなった。 毎日新聞 余禄より抜粋