余禄

 腕時計を見たら何か変だ。12時が3時の場所に来ている。針ではなく文字盤が回っている。ゆすっても動かないが、時間がたつと文字盤はまた少し回っていた。旧式の自動巻き腕時計だ。腕を振ると半月型のおもりが回転してぜんまいを巻き上げる。
 電子式と違って、チチチチと歯車の動く音がするのが好きで、探し回って見つけた。腕時計が貴重品の時代があった。中学生になったときに、新品を買ってもらう友達は少なくて、たいてい父親のお古だった。江戸時代なら元服式の脇差しだろう。
 大人の仲間入りをしたようでうれしかった。毎朝、腕時計のリュウズをジージージーと巻くと人差し指の脇腹がへこんで跡がつく。父親の腕には新品の自動巻き腕時計があった。こんな小さなものの中に、自然に巻くメカニズムある。目を見張る思いがした。
 おじいさんの古時計はチクタクと100年動いたが、おかしくなった腕時計はちょうど20年前に買った。転勤の時だった。クロムメッキがはがれ真鍮の地肌が出ている。机の引き出しの奥で休ませたが、一緒にいてくれたこの20年間のなんと短いことだろうと思った。
 今年も成人の日にバカ騒ぎした新成人の話がニュースになった。まだ大人になりたくない、子供のままでいたい、という潜在心理が、あんな騒ぎに走らせたのだろう。たしかに陳腐なあいさつを聞かされるのは苦痛だ。
 デモ、その間に自分が生まれてからの20年を頭の中で思い出してみたらよかった。こんなに長く、いろいろなことがって、充実した20年は人生で2度とない。そん20年とお別れする日。退屈な話が続いている間こそ静かに自分を見つめるチャンスだ。
来年はそんな成人式に。(毎日新聞より抜粋)