[雑記」永田町の粗忽話

落語で「粗忽話(そこつばなし)」といえば,度を外れたあわて者が奇想天外の騒動を起こす話である。「粗忽の釘」では大釘を長屋の隣家に打ち込みながら向かいの家に謝りに行くし、「粗忽長屋」は行き倒れの死人を自分と勘違いするという超現実的そそかっしさだ。
今では落語でしか聞くことがなくなったためか、何となく憎めないあわてぶりを思わせる「粗忽」という言葉だ。しかし漢和辞典をひもとけば、「祖」には「いいかげんで大ざっぱ」、「忽」は「おろそかにする」「あなどる」といった意味が目につく。
さて永田町の粗忽話も、その度の外れ方は現実離れしていた。騒動の当事者である民主党永田寿康議員はようやく姿を現し、問題の「送金指示メール」についての自らの予算委員会の質問によって「関係者にご迷惑をかけ、国会を混乱させたことをおわびする」と謝罪した。国会の質問に至るまでのメールの信ぴょう性の判断については「真正を個人的に確信」と再三繰り返した。何のことはない、メールを持ち込んだ人物の言葉をうのみにしての「確信」ということだいいかげんで大ざっぱ、とのそしりは免れない
騒動で今後の野党による政府与党の疑惑追及が鈍るのを懸念する声がある。もっともなことで、場合によっては野党は確実ではない情報をもとにした追求が必要なこともある。だが肝心の真実を誠実に求める姿勢がおろそかにされ、相手をやりこめることだけに急では、この結末も当然だ。
「粗笨(そほん)」の人に限りて必ず快心事を求む.事の成るべき筈なし」とは国木田独歩の警句だ。永田議員も、民主党執行部も快心事に気をとられ、自らの粗忽や粗笨が見えてこなかった。実はそれも国民の目をあなどっていたからではなかったか。毎日新聞(余禄)転載