春を待つ

 「探梅」という言葉がある。春を告げる梅の花を探すというので、冬の季語になっている。いかにも春の訪れを待ちきれず、いち早くその兆しを見つけようという人の心の弾みが伝わってくる。季節を人より先取りしたがる日本人の初モノ好きもうかがえる。
 北野天満宮熱海梅園など各地からの早咲きの梅便りはとうに届いていたが、ちょっと探梅の外出をためらわせる寒さが続いた今冬だった。だが1月も今日まで、節分と立春を迎える今週は、「探梅」から「寒梅」「賞梅」へと季節が移っていく。
 春を待つといっても、聞えるその足音は地域によってさまざまである。沖縄ではすでに梅どころか早咲きの桜の花見でにぎわっていた。フキノトウが地面から顔をのぞかせたと伝える地域面もある。かと思えば近づく流氷の接岸に、続いてやってくる春を感じる北海道の人々もいる。
 豪雪に見舞われた地方では融雪による雪崩に注意せねばならい春先だ。春の足音にも気が緩められないのがつらいが、それ以前にまだまだ襲ってきそうな寒波が怖い。同じように異常寒波に見舞われていた欧州東部のポーランドの雪による展示場崩壊の惨事は人ごととは思えない。
 現に気象庁の長期予報によれば、2月も当初予報が修正されて「平年並みか寒い」となっている。ただ3月と4月は平年並みかそれより暖かくなる見通しで、春の訪れは「平年どおり」という。一言で言うと今しばらくの辛抱ということだろうか。
 春を待つ季語には「春遠し」というのもある。山本健吉は「『遠し』とは待ち遠しさであり、近いものは遠いと感じたので、待ち望む心の強さを示す」(「日本大蔵時記」講談社)という。春の遠いところほど、喜びの深い春がやってくる。毎日新聞(余禄より)抜粋