論理学

 「矛盾」という言葉のもととなった「韓非子」の矛と盾の話はご存じだろう。どんな盾でも破る矛と、どんな矛でも破れない盾を売る商人が、「ではその矛で盾を突いたらどうなるか」と突っ込まれ、返答に窮する話である。
 この問いへの論理的正解は「ついた瞬間に矛と盾は消滅する」だという。商人の話は正確には「この矛は存在する盾ならばどれも破れる」「この盾は存在する矛ならばどれも防げる」で、矛も立ても存在しなくなることで文字通り話の矛盾は解消する。(三浦俊彦著「論理サバイバル」二見書房)
 論理学もそんなことまで考えねばならないから大変だ。むろん論理的に正しいか?からといって現実に当てはまるとは限らない。どこかで事実と言葉がごっちゃになった奇妙な世界に入り込んでしまったようだ。
 首相が施政方針演説で米国産牛肉の輸入再開について「科学的知見を踏まえた」施策と胸を張ったその日である。米国産牛肉に牛界面状脳症の特定危険部位が混入していたのが見つかった。米国が日本との間で決められた輸入プロセスを守っていなかったわけで、首相も言葉と事実をどこかで混同したのではないか。
 輸入再開は、輸入プロセスが守られれば米国産牛肉にリスクは小さいという食品安全委員会の評価にもとづくものだ。AならBという条件付の命題が、輸入解禁の政治的決定では科学的お墨付きとして使われはしなかったか。政治に必要だったのはAという前提を確実にする施策である。
 誰の目にも明らかな、米国の検査体制と日本の消費者が抱く食の安全への要求水準とのギャップだ。どちらが盾でどちらが矛かは知らない。ただ両者の間の矛盾は、論理的にも事実上もしっかりと解消してもらわねばならない。毎日新聞より抜粋(余禄)